日本代表が初出場を果たした サッカーワールドカップ!!
前回のドーハの時は目の前でかっさらわれただけにその悦びもひとしおってもんです。
しかも開催地はフランス。これは是が非でも行くしかないでしょう!!
なんて気安く言ってますが、日本代表同様フランスへの道は いろんな意味で本当に遠かった。
そのへんのもろもろも含めていってみましょうビバフランス!!
リッキーマーティンの歌を 口ずさみながらご覧になるとなおよし。

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97年11月17日(おいおいここから始めるのかよ、なんて言わないで)
アジア第3代表決定戦:日本VSイランの試合をテレビで見て感動の涙を流す。フランスに行こうと心に決める。

97年11月下旬~
友人とフランスに行くことを決める。インターネット、スポーツ新聞等で観戦ツアーをチェックし、N本旅行とH急交通社に 資料請求をする。のちにN本旅行より状況を知らせるメールが何度か届く。

98年1月上旬①
H急交通社(以下H急)より資料が届く。10数種類のコースの中より、クロアチア戦とジャマイカ戦を見る「成田発8泊10日」の ツアーに的を絞る。

98年1月上旬②
H急ツアーの電話予約受付開始。スタートと同時に電話をかけ続けるが、全くつながらず。
数時間後やっとつながるものの、希望の コースは満席とのこと。
空きのあった「成田発ジャマイカ戦観戦4泊6日」のコースをとりあえず予約。

98年1月下旬
H急ツアーの2回目の電話予約受付。前回より早く電話がつながるものの、希望コースはまたもや満席になっており、空きのあった 「関空発8泊10日」のツアーに前回の予約を変更してもらう。
数日後、申込金3万円を支払う。

98年2月
N本旅行より、ツアー内容が決定とのメールが届く。
しかし、コース設定が希望とずれていたので、関空発だけれどもH急の方に 決める方向に。

98年2~4月
様々な会社のツアーを目にするが、どれも羽田から関空まで別料金で行くことを考慮しても、H急の方が値段も安く、内容も希望通りなので、心を揺らさないことにする。

98年4月下旬
H急より、残り全額の旅費の請求書が届く。予想より早いので驚く。
母に頼み込んでヴィトンの財布をお土産に買ってくることを条件に借金。もう後には戻れない。

98年5月
世の中的にもワールドカップモードが高まる中、出発の日を指折り数えつつ、仕事に精を出す。

98年6月上旬
H急より、ナント(クロアチア戦の地)でのオプションディナーの案内が届く。そろそろ最終の日程等の案内が届くのでは、と ウキウキするものの、エールフランスのストのニュースが気になる。

98年6月9日頃
6月14日のアルゼンチン戦のチケットが全然足りていないと報道される。が、「アルゼンチン戦は関係ないし」と楽観視。しかし だんだんと絶望的なニュースばかりが流れ、ツアー中止の噂も聞こえ始める。
クロアチア戦、ジャマイカ戦も同様、との話もあり、 かなり不安がよぎるものの、とりあえずアルゼンチン戦が終わらないことには、と少々余裕をかまして、観戦用の炎Tシャツと タオルマフラーを購入。

98年6月11日
エールフランスなどもストを中止したというのに、W杯も開幕したというのに、なぜに今頃になってチケットがないなんて言うん だよ、と少々怒りつつ、H急に状況を問い合わせる。まだ調査中とのこと。
とりあえずパリへの飛行機の便名など、決定していること を聞き、羽田から関空への国内線の予約を入れる。フランスに行くことを知る人達に「どうなったの」と言われるが、そんなの私 だってわからないよー、と半泣き(やや脚色)。

98年6月14日
アルゼンチン戦。スタンドが青ばっかりなので安心するものの、フランス行きを強行した人々の悲喜こもごもの様子や、高額で チケットが取引された等々のニュースを見てまたまた不安になる。H急頼む、と祈るのみ。
行けなかったら、悔しいからハワイに 行こう(カズかよ)、と友人と相談する。

98年6月15日
問い合わせしようと思っていた矢先に、仕事中に「ツアー中止」の電話がH急よりかかってくる。旅費全額プラスお詫び金として 旅費の15%が支払われるとのこと。うすうす予感はしてたものの、ショックで口がきけなくなる(脚色)。
しかしながら、観戦 チケットの手配は一切なしで当初予定の観戦ツアーと同内容の手配旅行を、少々お安く設定するという。しかも成田発でやってくれる という。参加するかどうかで悩む。予約していた羽田―関空間の国内線をキャンセルする。キャンセル料6,000円を支払う。(泣)
友人と緊急会議。フランス行きを強行するか、またはハワイへ行くか。

98年6月16日
悩みまくり。手配旅行は当初の旅費よりかなり安いものの、浮いたお金でチケット代をまかなうことはできるのか。アルゼンチン戦 の話を見聞きすると心配になる。
最終的に、スタジアムに入れなくても日本が出場するはじめてのW杯なのだから雰囲気だけでも 楽しもう、と参加することに決める。

98年6月17日
H急に手配旅行に参加する旨連絡する。しかしここで、成田発が確保できなくなったので関空発になってしまう、と言われる。 この間の国内線キャンセル代6,000円をどうしてくれるんだ、と思いながらも、ここまできたら半分ヤケで、参加することに。

98年6月18日
また羽田―関空間の国内線を予約(涙)。J○Bが参加者全てのチケット確保したことを新聞で知る。今更ながらJ○Bにすれば よかったと、小さく後悔する。AM0:00過ぎまでパッキング。寝たのはAM2:00。

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